●福永さん「福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければ、また騎手の道を志すこともなかったです。」

競馬 2021 11.png

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
1:
https://pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230304-33041196-nksports-000-2-view.jpg

福永祐一師「騎手引退式」で感謝の涙「長きにわたった親不孝を終えることができて、ホッ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20230304-33041196-nksports-horse

引用
 「本当に今日はたくさんの方に来ていただきまして、本当にありがとうございます。思い返すといろいろあるんですけども、福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければ、また騎手の道を志すこともなかったです。母親に対しては本当に、全く競馬に興味がなかった自分が急に騎手になるということで本当に驚かせましたし、本当にずっと辛い思いをさせ続けてきたなと。27年、こんな親不孝はないなと思いながら続けてきましたけど、ケガはありましたけど最後こうやって健康な状態で引退することができて、ようやく長きにわたった親不孝を終えることができて、ホッとしていますし、申し訳ない気持ちでもいます。僕は本当に福永洋一と北橋修二先生、その2人の作品だと思っています。ジョッキーとしては、本当に北橋先生には出来が悪くて、本当に迷惑をかけてしまいましたけども、たくさんの人が支えてくれたおかげでこれだけの勝利数を積み上げてくることができました。先ほどファンの方のメッセージにもありましたけど、僕を努力の天才だと言ってくださる方もいますけど、僕が努力できたのは、本当にたくさんの方が支えてくれたので、その方々の思いに報いるためには、自分は頑張ることしかできなかったので…。本当に思うような結果、もっともっと本当は勝たないといけないぐらい応援してもらいましたけど、そういった方々の期待に応えられたかどうかは最後まで分かりませんけど、一生懸命真面目に勤め上げることしかできませんでした。騎手としてはこの3月まで、27年のキャリアを続けさせていただきました。これからは調教師として、また1から福永祐一としての、調教師としてのキャリアを積み重ねていこうと思っています。ようやく2人の元から巣立つことができたのかなと思っています。デビューした時から本当に多くのファンの方にも応援していただいて、最後もこれだけ数多くの方に来ていただいて、本当に幸せな騎手人生でした。自分には過ぎた騎手人生でした。これから、たくさん応援していただいた方々の思いに応えていくためにも、競馬ファンのみなさんに応援してもらえるような馬を、この競馬場に送り出していきたいなと思っています。東京競馬場でも言いましたけど、最高の騎手人生でした。本当にありがとうございました」

 式後はパドックを1周。駆けつけたファンの声援に最後まで応えていた。

引用元: ・https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1677924641/

2:
見事な幕引きだったね

3:
ながい

5:
川田号泣

8:
川田と同期の和田から花束もらった時は泣いて
無かったけど武豊からコメント花束で号泣
なんか福永好きだな

9:
礼装で引率馬に乗り、出走馬を引率する光景を献血ルームで観て、感慨深いものがあった。
記事で同い歳と知って驚いたよ。

12:
今の福永がキングヘイロー乗ったらどのくらい勝てただろうか

14:
ウマ娘のキングヘイローのストーリーが素晴らしすぎるんだよなあ
ウマ娘序盤の人気を生んだ一つのポイントだった

18:
福永46か。小僧のイメージしかない

19:
まだまだ早えだろ、武も道連れにしろや

21:
スピーチ長っ

23:
三冠獲れたら日本でもう欲しいタイトルもないだろうしね

26:
若く見えるよな、羨ましい

42:
細江が来ない...

44:
青春時代が終わったー

47:
福永といえばビッグアーサー

49:
何だかんだでダービー3勝だもんな
ダービー一度も騎乗することなく引退していく騎手だって沢山居るのにね

51:
天才福永も74歳か

57:
代表馬って間違いなく実績ではコントレイルだろうに
キングヘイローのイメージ強いよな

69:
川田があれくらい号泣するとは思わなかった

Source: オルフェンズの仔~~競馬ネタ予想まとめ
●福永さん「福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければ、また騎手の道を志すこともなかったです。」