的場「サイレンススズカはディープインパクトクラスの種牡馬になれた」

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1973年デビュー、2021年現在も現役──。65歳を迎えてなお、ハイレベルな南関競馬で一線級の活躍を続ける「大井の帝王」的場文男騎手。そのレジェンドが「種牡馬としても活躍出来たはずだった」と惜しむ名馬が、平成の中央競馬にいた。

競馬を愛する執筆者たちが、90年代前半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負1990-1994』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。

その特別インタビュー「大井の帝王が挑み続けた 中央と世界へ通じる道」のこぼれ話をご紹介していく。

ジャパンカップが始まったのは、1981年のこと。その後、80年〜90年代前半にかけて、カツラギエース・シンボリルドルフなどが勝利しながらも、92年にトウカイテイオーが勝利するまでは外国馬が上位のほとんどを独占してきた。すでに南関で大活躍を続けていた的場騎手は、間近で見た当時の光景を「日本馬の力がまだ世界に及ばない時代」と振り返る。

「あの当時は、ジャパンCで一緒に走るたびに『なんで外国馬ってこんなに強いんだろう?』って思っていたよ(苦笑) 今考えると、血統の差だったんだろうね。だから、大牧場を中心にノーザンテーストやサンデーサイレンスといった大種牡馬を導入したのは大正解だった。相当なレベルの馬を本当にたくさん買ってきたからね。ラムタラとかも導入したりして、とにかくお金をかけてきた(笑) その甲斐あって、今となっては日本の競馬は世界トップだと思うな」

日本は1975年にノーザンテースト、1990年にサンデーサイレンスを導入。他にもラムタラ、トニービン、ブライアンズタイム、フレンチデピュティ、ダンシングブレーヴ、オペラハウス、ピルサドスキーなど、様々な名馬が種牡馬として導入された。特にラムタラは3000万ドルで導入され、その金額からも大きな話題を呼んだ。

サンデーサイレンスの大躍進により、今では内国産種牡馬という言葉もあまり聞かれなくなったが、当時は輸入種牡馬の全盛。各国から導入された名馬たちが、日本競馬の血統レベルを底上げしていった。

「種牡馬となるサラブレッドに求められるのはスピードだと思うな。例えばハイセイコーとタケホープは、競馬の強さという意味では良いライバル関係だったと思うけど、種牡馬としてはハイセイコーに軍配が上がったよね。その差は、ハイセイコーの持つスピードの違いによるものだったと思っている」

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引用元: ・https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1631622385/

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武豊

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いうてこのおっさん大井しか興味ないからな

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タッケこれどーすんの?

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「どんな名種牡馬でも本当の意味での後継種牡馬は多くても3頭しか出せない。
ノーザンダンサーでもミスタープロスペクターでもそう。
そうやってサラブレッドの歴史は繋がってきた。
サンデーサイレンスでいえば、サイレンススズカ、この馬(カーム)、そしておそらくこれから生まれるもう1頭。
後継種牡馬の1頭であるサイレンススズカがああいうことになったのはサラブレッドの歴史的な意味でも物凄い損失。
そういう意味でもこの馬(カーム)にかかる責任は大きい」

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言うて母系ネヴァーベンドやぞ

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ラスカルスズカ失敗してるのにねぇ?

Source: オルフェンズの仔~~競馬ネタ予想まとめ
的場「サイレンススズカはディープインパクトクラスの種牡馬になれた」